「ナイラ」という女性(当時15歳)が1990年10月10日に、
非政府組織トム・ラントス人権委員会にて行った証言。
イラクによるクウェート侵攻後、
「イラク軍兵士がクウェートの病院から、
保育器に入った新生児を取り出して放置し、死に至らしめた!」
その経緯を涙ながらに語った事で知られる。
クウェートに対する国際的な支持を得るため、
依頼を受けたPR会社が、世論を喚起するべく作った、
シナリオの「ストーリーテラー」として彼女「ナイラ」がキャスティングされた。
国際的な反イラク感情とイラクへの批判が高まって、
無関係に近かったアメリカを中心に、
反イラク感情とイラクへの批判が高まり、湾岸戦争の引き金となった。
ウェート解放以後、証言自体がイラクから攻撃を受けて劣勢だったクウェート政府と、
ヒル・アンド・ノウルトンによる自由クウェートのための、
市民運動の反イラク国際世論扇動のために行った、
(広報キャンペーン)プロパガンダ であったことが判明。
アメリカを戦争へ引っ張り出し、敵対国イラク壊滅などクウェート政府によるプロパガンダとして大成功を治めた。
この「証言」は、アメリカ政府が目的としていた湾岸戦争の火付け役となり、
- 「女性や子供の証言」
- 「現地で現場を見た被害者は嘘をつかない」
との人々の根強い思い込みを背景に、
弱者側が『女性』や『子供』を利用したプロパガンダ の例として、用いられるようになった。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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